8月31日(土)「凄まじい雷雨」

雷を怖がる息子を、「まだまだ子供」と書いたのは、つい先日のこのブログ。だが、昨朝の雷は、ホント凄まじかった、、、。昨日、香港空港に到着したのは、早朝の4時半。そのまま、タクシーで皇岡口岸まで移動。この時は、まだまだ小雨だった。が、これが、深セン側に入る時は、物凄い雷雨。タクシー乗り場に向う時は、すぐ近くに落ちてるのが確実な雷が、物凄い唸り声を上げている。そのあまりの激しさに、暫く待とうかとも思ったが、早く家に帰りたかったので、雷雨の中をタクシー乗り場まで走った。ただ、雷が落ちたらたまらないと、腕時計はズボンの中にしまった。先日は、雷を怖がる息子を笑ったが、激しく轟く雷に触れてみて、その認識が変わった。雷は怖いものだ。結局、通常は30分で着く移動も、激しい雷雨の中、1時間近くかかった、、。ところで、この雷、家に着く頃にはなくなったのだが、息子の学校は、急遽休校に。それがわかった時の、息子の嬉しそうな顔と言ったら、なかった。

ところで、この雷雨、9時過ぎにはすっかりあがりいい天気に。息子達には、何よりのお土産になったようだ。



8月30日(金)アンマン③「治安の良さのアピール」

ヨルダンと言う国は、スマートな国だ。国境を接するのは、イスラエルにシリア、イラクに、サウジアラビア。一癖も二癖もある国ばかり。が、どこの国とも、良好な関係を築いている、、、。ちょっと前、金融機関の先輩に、ヨルダンとレバノン(その時は、レバノンにも行くつもりでいた)に行く予定と言ったら、「爆弾飛んで決まっしゃろ」と真面目に言われた。この先輩、海外駐在が20年以上のバリバリの国際派。その先輩を持ってしても、レバノンはともかく、ヨルダンの治安も悪いと思っていたようだ。そのためだろう。ヨルダンでは、TOYOTA、ホンダの日本車や、サムスンの看板は見かけても、中国人や韓国人、日本人はほとんど見かけなかった。エジプトやシリア情勢が悪化する中、皆、観光で中東に行くのを、控えるのだろう。これ、ヨルダンにとっては迷惑な話だ。が、この状況下で、「ヨルダンの治安は至っていい」と言う事を、世界にアピールできれば、これはすごい武器になる、、。死海にペトラにジェラシュ、黙っていても、人はやって来るだろう。

と言う事で、短かったヨルダンだが、何かと楽しめた。また、来たい街だ。

白い街並みの、アンマン市内。たなびく国旗は、世界一の大きさらしい。



8月29日(木)アンマン②「米国との関係」

初めてミャンマーに行った時、知人から、「ここでは写真を撮らないで」と言われた。場所は、その当時軟禁状態のアウンサンスーチー宅。この付近には、秘密警察がうじゃうじゃいるから、と言うのがその理由だった、、、。アンマンの街を観光中、それまで陽気だった運転手が、「ここでは写真を撮るな」と言ってきた。その場所とは、アンマンの米国大使館だ。ヨルダンの最大の輸出国は、米国。また、ショッピングモールには、スタバもGAPもある。米国ブランドも、よく目にする。他の中東国と違って、ヨルダンは親米的な国だ。その関係の良いヨルダンでも、大使館警備は物々しい。機関銃を手に、臨戦態勢に入ってる兵士を見るにつけ、運転手が注意するのも頷ける。ヨルダンの人々も、米国(大使館)に対して神経質になれば、米国側の警戒も、大変なもんだろう。何と言っても、このヨルダンと国境を接するのが、イラクにシリア。多数のイラク人、シリア人が、このアンマンに逃げ出してる、と聞けば、米国側の警戒も当然だろう、、。まさに、戦時下のようだ。

臨戦態勢の警備兵を見るにつけ、今更ながらに、米国とイスラム国家との対立の根の深さを思った。怖い世界だ。

約2000年前に造られた、「ローマ劇場」。6000人収容とか。



8月28日(水)アンマン①「ホワイトシティー」

死海からアンマンまで車で移動する際、気付いたが、沢山のトラックが走っている。これらのトラック、白い大きな石を積んでいる。運転手に聞いたら、「LIME」だと言う。(後ほど、辞書で引いたら、石灰岩の事。)ペトラ遺跡近くの産地から、大消費地のアンマンまで、これらの石灰岩、運ばれるようだ、、、。車がアンマンに近づくに連れ、白い町並みが目立ってきた。白というより、クリーム色に近い感じの建物。これらはすべて、石灰岩で造られているようだ。石灰岩で造られた、四角い白っぽい建物が、果てしなく続く様は、圧巻。まさに、「ホワイトシティー」だ。ところで、運転手によると、このアンマンでは、建物は石灰岩以外では造れず、壁も白く塗らなくていけないとか。街の雰囲気を損なわないように、との事らしい。が、中東一高いと言われる高層ビルは、どう見ても白色には見えない。それを運転手に言うと、「あれは、窓だから大丈夫」とか、、。賛否両論あるだろうが、このアンマンの白い町並み、気に入った。

政情不安のシリアやイラクから逃れて来る富裕層が多く、このアンマン、バブルの状況で、建設ラッシュとか。通りで、石灰岩を運んだトラック、数多く目にするはずだ。

トラックで運ばれる、「石灰岩」。



8月27日(火)死海②「医療ツーリズム」

死海のプールや海の営業時間は、「朝8時から日没まで」と書かれている。この「日没まで」と言う表現、いかにもムスリムらしいと思いながら、「ラマダンの時期はどうするのだろう」と心配になった、、、。ラマダンの時期、ムスリムの人々は、「日の出から日没まで」飲食出来ない。そして、死海の海やプールは、日没後入れない。と言う事は、ラマダンの時期に死海に遊びに来たムスリムは、日没前しか海やプールに入れない。で、プールはともかく、あの海は、ちょっと無理だろう。あれだけ塩分の濃い海に入って、水も飲まないでいる、と言うのは不可能に近い。とすると、ラマダンの時期は、ムスリムは死海に遊びに来ない、と言う事になる。これは、ホテル業者にとっては、痛手だ。ラマダンは、確か1ヶ月。この間、ホテルを遊ばせるのももったいない、、。いっその事、この時期、馴染みの少ないアジアの人達を超格安で呼び込んだらどうだろう。「泥と塩のエステやマッサージ、筋肉疲労やこり、神経痛、腰痛、何でも効きますよ」、と。受けると思うのだが。

ところで、ヨルダンの人達は、プールで泳ぐ時、ゴーグルではなく、黒いサングラスを付ける。あのサングラス、特殊加工した水中でも使えるものなんだろうか。

日没の頃には、プールで遊び人も、ほとんどいなくなった。



8月26日(月)死海①「浮遊体験」

ドバイ経由で、飛行機がヨルダンのアンマンに到着。そこから、首都のアンマンではなく、リゾート地の「死海」(実際は湖)に移動した、、、。アンマンの空港から、車で1時間弱でこの「死海」に着く。時差ボケで、少し眠かったが、チェックイン後、早速、この死海に飛び込んだ。が、飛び込んでみて、驚いた。靴擦れしたかかとに、塩が染みて痛む。それも半端な痛みじゃない。と言う事で、そそくさと退散。ただ、このまま、折角の死海を楽しまない手はないと、ホテルからバンドエイドを借り、かかとに貼り付け、再度、海に飛び込んだ。それでも、やはり、しみる。そうこうするうちに、今度は、目の中に強烈な海水が入った。この海水、異常に濃度が濃い。そのため、暫くは目を開ける事、出来なかった。ところで、ここの塩分濃度の高さは、半端じゃない。プールでは、寝転がった体勢で、肺を膨らませて浮くが、ここでは、あまりの塩分の多さに、肺を膨らませたら、体が反り返り、反転してしまった、、。摩訶不思議な死海だが、十分楽しめる。

ところで、死海の中に何か魚や生物がいないか捜したが、何もいない。ここは、文字通り、死の海だ。

気持よさそうに、水に浮く人達。塩分濃度は、30%を超えるらしい。



8月25日(日)「行きたい所へ行く事」

この3年弱で、いろんな所に行ったが、まだ行ってないのが、中東とロシア。この8月後半、10日弱かけて、中東に出かける予定でいた。ところが、急な用が入り、中東行きに割けるのが、4日半。行き帰りの飛行時間の長さを考えると、現地滞在時間が短か過ぎる。割が合わないと、この中東行き、一度は自分の中で断念した、、、。が、途中で考え直した。十分な時間が取れない事を理由に、行きたい所に行く事を諦めていれば、今後の自分の活動範囲が、ものすごく狭くなる。「それじゃ困る」と言う事で、一度は諦めた中東行きが、復活した。出発は、今日の午後。2カ国行く予定を1カ国に、また4都市周る予定を2都市に減らし、忙しい行程ながら、出かける事にした。すると面白いもので、旅行を諦めた時の、何かモヤモヤとした気持ちは無くなり、スッキリした気分になった、、。「限られた時間内で、行きたい所に行く」、今後のモデルケースになるであろう今回の中東。目一杯楽しもう。

と言う事で、次回のブログ更新は、中東から戻ってからまとめて行う事にする。悪しからず。



8月24日(土)「怖いのは、雷」

今では大分違うと思うが、一昔前の怖いものは、「地震、雷、火事、親父」、、、。ここ最近、息子の身長が急激に伸びている。また、声も変わり始めている。「成長期」だ。それと同時に、口答えも多くなった。俗に言う、「反抗期」でもある。振り返ってみて、自分も、息子ぐらいの頃は、「よく父親に反抗したなー」と懐かしく思い出したりもするが、ムカっとくることも度々だ。ところで、生意気になってきた息子だが、苦手なものがある。「雷」だ。朝起きてみると、自分の部屋に寝てるはずの息子が、隣で寝ている。こんな事が数回あった。息子に聞いたら、「夜が寝苦しかった」とか、適当な事を言っていたが、嫁に言わせると、「雷」がその原因とか。夜、雷が激しく轟く日に、怖くなって親の寝てる部屋に避難してくるようだ。変声期を迎え、体も大人のそれになってきてる息子だが、まだまだ子供。雷が轟く日には、頭の上からストンをかぶり、それでも止まない時には、親の部屋に移動して来る、、。今度、生意気な事を言ったら、雷の際の入室、禁止にしよう。

情報通の知人によると、今怖いのは、「地震、原発、火事、津波」らしい。面白い。



8月23日(金)「年齢差31歳」

夜、先輩から電話があった。「仕事の受注が減って、困っている。いい仕事を紹介してくれ」、そんな趣旨の電話だった、、、。ところで、この先輩、困ってるという割には、声に張りがある。「何か、いい事あったんですか?」と聞いたら、「つい最近、結婚した」との返事。「それは、おめでたいですね」と言ったら、「いや、大変だ」と言う。よく話を聞くと、何と年齢差31歳の、まだ20歳そこそこの福建人の子と、結婚したとか。(何でも、この先輩の娘さんと同じ年らしい。)と言う事で、この先輩、俄然、その責任も増し、猛烈に仕事に取り組み始めたようだ。その一環が、先の電話だったようだ。ところで、この先輩達のような、年配の日本人男性と、若い中国人女性のカップル、よく目にする。中国女性が、経験ある熟年男性を好む傾向にあるのか、または、日本人のおじさん世代がよくモテるのか、詳しくは知らないが、年齢差が30や、時には40を超えるようなカップルも、目にしたりする、、。世は、益々、国際化の時代に入ったようだ。

たまたま、そばで電話を聞いてた嫁から、「羨ましい?」と聞かれた。「羨ましくもあるけど、大変だろうなー」とも思う。「先輩、頑張って下さい」。



8月22日(木)「ネイマールTシャツ」

先日のブエノスアイレスで、息子用に、メッシのTシャツを購入した。すると、先のコンフィデンス杯で大活躍した、ネイマールのTシャツ(バルセロナの11番)を勧められた。「これは、旬なもの」と、このTシャツも購入した、、、。このネイマールTシャツ、人気がある。息子が、早速、身に付けて遊びに行くと、二人の友達から、欲しいと言われたとか。しかも、この二人、息子の仲のいい友達で、しかも二人共誕生日が、8月の20日過ぎ。息子から、二人の誕生日プレゼントに、ネイマールTシャツのリクエストがあった。と言う事で、ネイマールTシャツを捜しに行ったわけだが、なかなか見つからない。TSTや銅鑼湾のショッピングモールを捜したが、どこにも置いてない。衣料品関係の知人に聞いたら、「ピークや女人街など観光客が集まるとこならあるはず」との事で、旺角の女人街まで、ネイマールのTシャツを求めて、出かけて行った、、。長く住んでいても、どこに何が売っているか、よくわからない。まだまだ勉強不足だ。

ところで、ブエノスアイレスでは、プレミア価格だったネイマールTシャツだが、ここでは、他の選手と同一料金だった。ネイマール、南米の方が、その商品価値高いようだ。

陳列されたスーパースターのTシャツ。



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