2月19日(金)「全裸婚、半裸婚」

雑誌を見てたら、面白い事が書かれていた。香港の若者の間では、婚姻届のみを提出する「全裸婚」の意識が強くなってる、と、、、。香港、台灣、シンガポールなど中華圏の人々の間では、結婚する際に、結構指輪と居住用の住宅を購入するのが一般的。ところが、数年前から、住宅価格の高騰のため、結婚前に指輪は買うが、住宅は結婚後購入の「半裸婚」が増えてきたようだ。そして最近では、不況も相まってか、住宅どころか、結婚指輪も結婚後という「全裸婚」が増えてきてるとか。この「半裸婚」や「全裸婚」のカップル、披露宴に対する意識も、派手なものでお金をかけるより、親族だけで地味に、という形に変わりつつあるようだ。で、このジミ婚のカップル、披露宴にかかる費用をハネムーンに使うかと思ったらそうでもないようで、結婚後の生活費用に当てるとか、、。今の若者が、車や贅沢品にお金をかけずに、健全な生活費にお金をかけるという事、香港でも日本でも状況は同じのようだ。これ、いい話なんだろうか、悪い話なんだろうか。

しかし、「全裸婚」に「半裸婚」、チャイニーズの人達の表現方法、面白い。



2月18日(木)「臨機応変の対応」

中国からの雑貨輸入を行なってる人達、結構いる。が、皆、為替の問題や高騰する人件費の問題で四苦八苦。その中でも、うまく稼いでいる知人が何人かいる。その中の二人を引き合わせた、、、。互いに40代前半。扱う商品も似ていて、香港の居住場所も近い。彼らの仕事の進め方も似ている。このような二人だが、活動拠点は違う。東京出身の知人は、北関東が主な活動拠点、一方、関西出身の知人は、その客先も関西中心だ。仕事所の接点も多く、話が弾んだ訳だが、話が進むうちに東京出身の知人の方に変化が現れた。最初は、普通に標準語(東京弁)で喋っていた知人、関西出身の知人に引きずられるように、イントネーションが関西弁のそれになっていった。百戦錬磨のこの知人、意識的に喋る言葉を合わせていたのか、無意識に引きずられたのか定かではないが、この微妙な違い、面白く感じた、、。人は、同じような言葉を話す人に愛着を持つと言う。この知人、意識的にそうしてるのだろうか。次回、聞いてみよう。

臨機応変な対応、これも仕事がうまくいく理由の一つなんだろう。



2月17日(水)「一人の時食べるお店」

先日、日本から出張に来た知人と、飯を食べた。知人が指定したお店は、よく昼メシを食べに行くところ。それも、一人で食べる時に利用するお店だ、、、。夜、この知人らと食事してると、お店のママさんが挨拶に来た。そこで、「昼間は、よくお世話になってます。特に一人の時は」と正直に言ってしまった。その時のママさん、一体どう返事していいのか、ちょっと困った顔をした。ところで、「一人で食べる時に来ます」という発言、飲食店の人、どう反応するのだろう。「人を連れて来れないようなお店」と悲観的に捉えるのか、それとも、「一人でホントに寛ぎたい時に来てくれるので有難い」と好意的に捉えるのか、どちらなんだろう。お店としては、人を連れて来てもらった方が、売上が増えるので当然喜ぶ。が、一人で来れるお店というのも、お店側がいい空間を提供してるという事で、喜ばしく思うはず、、。よく行く店のママさんとのやり取り、楽しめた。

大勢で行く店、一人で行く店、いろいろあった方がいい。



2月16日(火)「人生いろいろ」

「前の奥さんが、中学2年の時のクラスメート。新しい奥さんが、中学1年の時のクラスメート。前の奥さんと今の奥さんもクラスメートで友達」という知人がいる。この知人とメシを食べてると、「人生いろいろ」という発言が飛び出した、、、。他の人間から、この「人生いろいろ」の発言が飛び出しても、特に何とも思わないが、先の壮絶な生き方をしてる知人が、ぽろっと口にした「人生いろいろ」、説得力があった。何でも、会社経営をしてるこの知人に、トラブルが発生した時に、前の奥さんが離れていき、新しい奥さんが現れたようだ。で、この二人が、昔からの馴染みで同級生。互いに面識もあるという。何だが、テレビドラマのようだが、波乱万丈の人生を生きてる知人。「数えきれないぐらいの苦労を味わったが、今の奥さんと再会するための必然だった」と言い切った。多分、そこには、計り知れないほどの苦労やトラブルがあったのだろう、、。この知人の口から飛び出した「人生いろいろ」、妙に説得力があった。

人には、いろんなドラマがある。ホント面白い。



2月15日(月)「比べる事」

息子が、エジプトの空港のトイレから、「紙が全然置いてない。手持ちの数枚のティッシュで拭いたので、お尻が気持ち悪い」、こんな事を言いながら出て来た。イスラムの人達の習慣として、「用を足した後は水でお尻を洗う」と言うのがある。息子が、事前にこの事が頭にあれば、紙が置いてるかどうか確かめたと思う。が、「トイレには紙があるもの」と思い込んでいたので、今回のエジプトの空港、とてもいい経験だ、、、。この1週間で、遺跡のエジプト、素朴なチュニジア、リッチなカタールと回ったが、対日本、香港との比較でもそうだが、各々の街での比較でもいい勉強になったと思う。観光客が多くても、まだまだ貧しく、イスラムの戒律の厳しいエジプトでは、トイレに入るのでもお金がかかる。また、人々にカメラを向けると嫌な顔をされる。この傾向が、チュニジアでは徐々に少なくなり、豊かなカタールではほとんど気にしない、、。世界は多様で、いろんな人(民族)がいて、いろんな考え方がある、この事がわかっただけでもいい勉強だったと思う。

同じイスラム国家でも、エジプトような国もあれば、カタールのような国もある。ホント、面白い。



2月14日(日)「ビザ取得はカード払い」

チュニスから飛行機で5時間、カタールの首都ドーハに着いた。このカタール、話には聞いていたが、リッチな国だ、、、。まず、空港が広い。綺麗だし、その大きさに圧倒される。それから、入国審査の際のマシン。最新式のものを使っている。外で待つライトブルーのタクシーも格好いい。夜、ホテルまでタクシーで向かったが、通りに置かれた電信柱のようなランプ、これが青色から紫、オレンジに変わる。その美しさ、格別だった。ところで、このカタール、入国の際にビザが必要だ。入国審査を行いながら、ビザ取得の作業をするわけだが、一人100リヤル分の集金を、ビザかマスターカードで行う(その他のカードは駄目だと言っていた)。現金は受け付けないと言う。時間がなかったので詳しく聞けなかったが、信用カードを持たない人、またカードは持ってるけどビザ、マスターカードのない人はどうするのだろう。まさか、入国できないって事はないだろうが、、。これは、「お金持ってる人だけ来て下さい」というカタールのメッセージなんだろうか。

カタール航空がワンワールドのメンバーと言うことで、今後、頻繁に経由しそうなドーハ。今度は、「アル・ジャジーラ」を訪ねてみよう。



2月13日(土)「チュニジアン・ブルー」

チュニスから北に20キロ程度。観光都市のカルタゴを抜けた所に、「シティ・ブ・サイド」と言われる美しい街がある。ここの建物は、全て白に真っ青なブルー。青い空に、真っ青な地中海。それに白壁に溶け合ったチュニジアンブルーのドアや窓枠。ここは、チュニジアで最も美しいと言われる街のようだ、、、。ところで、この「シティ・ブ・サイド」。1900年代始めに、この街の豪邸に住んでいたルドルフ男爵という英国人銀行家、彼に敬意を評して、彼の好んだ青と白以外の建物の建設を禁止したようだ(例外はモスク)。景観保護のための政令のようだが、個人の好みのため、建物の色が決められたのは、世界広しといえども、ここぐらいだろう。その当時の、ルドルフ男爵の政治的な力の強さを伺わせるが、今となっては、この男爵の半ば強引な政策で、街は得も言われぬ美しい街に仕上がり、ヨーロッパから有名作家や芸術家が好んでこの街を訪ねるようになったようだ、、。空、海、建物、3つのブルーが溶け合ったこの街の美しさ、溜息が出るばかりだ。

ここのブルーを、「チュニジアン・ブルー」と言うようだ。今後のチュニジア観光の目玉になるのだろう。



2月12日(金)「バルドー博物館」

エジプトのカイロから、3時間強の飛行で、チュニジアのチュニスに移動。空港到着後、そのまま観光に出かけた、、、。まず、チュニスの新市街とメディナ(旧市街)を探索した後、お目当てのバルドー博物館に。アフリカのルーブル美術館と言われ、世界有数のモザイク画を所蔵する博物館。いつの日か訪ねてみたいと思っていた博物館だ。ところで、このバルドーの名前を世界的に有名にしたのが、昨年3月に起きた武装テロ事件。二人組の銃乱射で、日本人2人を含む22人が死亡、42人が負傷した。この銃乱射事件から、まだ1年も経ってない。世界的に有名なバルドーがどう変化してるか、興味があった。さすがに乱射事件の後だけに、入管の際のボディチェックは厳しい。が、中は、ローマと初期キリスト教時代のモザイクコレクションを始め、数々の美しい作品が陳列されている。ところが、階を登るに連れ、生々しい銃弾の後が、あちこちで見受けられた、、。罪のない人達を犠牲にする無差別テロ。許されない行為だ。

ところで、トゥッガの間の「オデュッセウスとセイレーン」、必見の作品だ。



2月11日(木)「考古学博物館」

今回のエジプト、ピラミッドにスフインクス像。モハマドアリモスクにナイル河。いろんな見所が合った訳だが、最も強烈な印象を残したのは、カイロの考古学博物館だった、、、。この考古学博物館、有名なツタンカーメンの黄金マスクを始め、数多くの古代美術に出会える。その中でもかなりの数を占めるのが、ツタンカーメンやラムセス2生の財宝。その財宝を守るために、アヌビスを始めとして幾つかの守り神が登場する。古代の王や権力者達が、自分らの財宝を守るために、あの手この手の策を弄したであろう事が見て取れた。後、強烈な印象は、特別室に保管されたミイラ。3000年の時を超えてのミイラとの対面。感慨深いものがあった。何人かの王のミイラが残されているが、今となっては、どのミイラもほとんど同じ顔。この考古学博物館を見て感じた事は2つ。①古代の王たちは、自らの財宝を守るために多大の難儀を強いられた。②時代が経ってみれば、どの王の顔も同じ、、。人間は所詮人間、持ち過ぎは苦労が増すだけ。いい勉強になった。

人間の性(さが)みたいなものを感じさせた考古学博物館。その印象は強烈だった。



2月10日(水)「ピラミッド」

以前、知人から、「2000年前のエジプトでは、警官に賄賂(それも日本円200円程度)を渡せば、深夜、ピラミッド内に入れて、2−30分でピラミッドの頂上まで到達できた。そこから見る朝日は、得も言われぬ美しさだった」、このような旨の話を聞いた事がある、、、。ピラミッド見学に、ギザまで出かけた。その壮大なスケールに圧倒された訳だが、先の知人が深夜に登頂した頃とは、だいぶ状況が変わってきたようだ。まず、入口前の警官のチェックが物々しい。備え付けのマシンガンで、臨戦態勢に入っている警察官もいる。また、入口での荷物検査も厳重そのもの。ピリピリしたムードを漂わせている。また、ピラミッド内でも、第1ピラミッドで写真撮影を行おうと、少しでも上の方に登ると、すぐに「Don’t climb!!」の声とともに、笛音が響き渡る。ただ、一部の中国人観光客は、それらをものともせずに、結構上まで登り写真撮影に興じていたが、、。3つのピラミッドにスフインクス像。その圧倒的なスケールに驚かされた。

ピラミッド内の移動をラクダで行なったせいだろうか。その後、お尻の皮が痛くてしょうがなかった。



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